2009-02-09から1日間の記事一覧

未来へ

今回の展覧会を通じてよくわかったのが、福澤の生き様だ。 彼の生き様から学びとることはあまりにも多かった。そしてそれは単に「なるほど、こういう考え方だったのか」だけで終わることなく、今の自分が抱えている問題、家庭が抱えている問題、地域が抱えてい…

発育

この言葉も面白かった。福澤は教育について「文明教育論」で、 教育の文字ははなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり と述べている。さらに、「天資の発達を助けるだけなので、『発育』という表現がふさわしい」と主張していた。明治時代の教育と…

異端

「文明論之概略」が展示されていた。その中で、福澤はこう言っていた。 文明の進歩は異端と妄説から始まる!! 異端と揶揄される説から進歩は始まると主張して、自らも異端であり続けようとしていたのだろう。1階に展示してあったのだが、この言葉を見つけたと…

伝単

伝単(でんたん)とは、戦争の時に、相手国の戦意喪失をはかる目的でばらまくビラのこと。会場では、米軍が日本にまいた伝単が展示されていて、そこにはなんと福澤諭吉の肖像が印刷されていた。 米軍は福澤諭吉を引き合いに出して、 日本国民の諸君!!君た…

肖像

福澤は自分の肖像写真を撮るのがすごく好きだったらしい。30数枚残っているそうだ。福澤の一番のお気に入りの写真、それは皆さんが目にするやつです。 そう、一万円札の肖像ね。お札は上半身だけだが、展覧会では全身の肖像写真が観れた。

「人間(じんかん)」

福澤諭吉の三大事業というのがある。慶應義塾設立と時事新報創刊、そして交詢社結成だ。 交詢社は福澤の提唱によって、慶応義塾関係者らによって作られた社交クラブ。名前の由来は、 「知識の交換をし、世務を諮詢(しじゅん つまり相談)する」からきている。…

時事新報

福澤は明治15(1882)年に日刊紙「時事新報」を創刊する。当時の新聞は郵便報知新聞や自由新聞のように、政党の機関紙のようなものが中心だった。そのなかで「時事新報」は不偏不党の立場を貫いた。つまりどの政党にも寄らないということだ。 福澤が明治2年、松…

ひゞのをしへ

福澤が2人の子供の教育のために書いた教訓書「ひゞのをしへ(日々の教え)」も展示されていた。その中で、 みずから顔を洗い、自ら着物をきて、自ら靴を履き、自ら・・・・・これを西洋ではインディペンデントという。インディペンデントとは独立という意味で…

三十一谷人

会場に入って、最初に目に飛び込んできたのは福澤が用いた印章だ。印章には、 三十一谷人(さんじゅういっこくじん) と刻まれている。 これはどういう意味かというと、「世俗」の文字を分解したものだ。ちょうど「米」を「八木」に分解したり、松平定信が自伝を書…

独立自尊

福澤の生き方に貫かれている精神が「独立」。 独立した個人を大切にし、権威におもねらず、日本をいかに近代化するかという精神 ということ。当時の知識人たちがこぞって官職を求めた中で、福澤は生涯無位無官の一市民であることを貫いたというのは、まさに彼…

福澤諭吉展

東京国立博物館へ行ってきた。モエニホ軍団とは上野の西郷隆盛像前というベタな場所で待ち合わせた。 集合時間よりかなり早めについたので、上野周辺を散歩することにした。まずは不忍池。 上野公園内にある。 江戸時代に司馬江漢が「不忍池図」という絵画を描…

東京にて

本日少々長文です。頑張って下さい(笑)