発育

この言葉も面白かった。

福澤は教育について「文明教育論」で、

教育の文字ははなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり

と述べている。

さらに、

「天資の発達を助けるだけなので、『発育』という表現がふさわしい」

と主張していた。

明治時代の教育というのは、1872(明治5)年の学制にみられるように、非常に画一的な「上からの教育」であった。

基本的にこの方針というのは、戦後の教育改革があったとはいえ、現代に至るまで変わっていないように思う。

福澤が主張した「発育」とは、そうした明治政府の教育に対する批判なのだ。