5年前。
知り合いが仕事上で窮地に立たされた。
その時私は全力でその人を支えようとした。
自分の人脈などを駆使して、それこそ東奔西走した。
ところが途中で腹立たしいことがわかった。
それは、その人自身が必死になっていなかったのだ。
つまり人に頼んでおいて、あとは任せて自分は待つだけ。
(この人、オレのことを会社の部下とかとでも思ってるんちゃうか)
そう思えてきて、その人の為に何かすることが馬鹿らしくなり、それ以来その人とは疎遠になった。
『どっかオレを拾ってくれる球団探しといてぇ!!』
と言って、自分は何もせず家でテレビを観て知らせを待つ、なんてあり得ないだろう。
戦力外通告を受けた選手は、自らトライアウトを受け、場合によっては台湾や韓国や国内独立リーグなどにも出向いて、それこそ死に物狂いで生きる道を摑み取ろうとするだろう。それでも職が見つかるとは限らないのだ。
それが実力の世界。
そしてそういう姿を周りの人が観てて、初めてこの人の為に力になってあげようと心が動かされるのだ。
そしてまた同じ事が起こった。
まるで5年前のデジャブをみているかのようだ。
今回、彼が窮地に立たされることになった原因、よくよく考えれば5年前と同じだ。
本人はそれに気づかない。
そしてまた私を頼ってきた。
そしてその後の行動も5年前と同じ。
まるで変わってない。
5年前の苦い経験から彼は何を学んだのか。
あのとき経験したことは一体何だったのか。
彼は何も変わっていない。
自分がこうなったのは相手が悪い、会社が悪い。
自分は悪くないのに、自分は正しいのに、とても理不尽だ。
彼の手紙からはそういう内面がヒシヒシと伝わってきた。
これではダメだ。
どうしてだろう。
なぜ気づかないのだろう。
どうして原因は自分側にあるのだとわからないのだろう。
これではどこへ行っても同じ事を繰り返すだろう。
彼にも友人がいるだろう。
友人もそんな彼の欠点をわかっているはずだ。
誰も指摘しないのか。
もしそうならそんなの友人じゃない。
『運命は自分で切り開くもの』
絶対そうだ。
転んだっていいじゃん。
大切なのはそこから起き上がろうと頑張れるかだ。
死に物狂いで起き上がろうとして、たとえそれが無理でも、その姿を見た誰かが手をさしのべてくれるかもしれない。
転んだまま、『オレは転んだぞぉ!』って叫んで大の字に寝転んだままの人には誰も手を貸さない。
本人自身がファイティングポーズをとらなくてはいけないのだ。
そうじゃないと何も始まらない。
とある実業家がこう言っていた。
「生き延びるために、誰もが変わらなくてはいけない。『危機』は『危険』と『機会』の2字から成っている」
変わらないのか変われないのか・・・・・。
昔読んだこの本を思い出した。
- 作者: ランス・アームストロング,曽田和子
- 出版社/メーカー: 学習研究社
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彼は自転車競技の最高峰であるツール・ド・フランスで前人未到の7連覇を達成した人物だ。
ランスはこの間、癌と闘いながら、この過酷なレースに優勝し続けた。
そのランスは今年の2月に現役を引退した。
著書の中でランスはこう言っていた。
死に瀕すると、余計なものはすべて取り払われて戦闘準備がととのい、それから、目からうろこが落ちるように、はっきりわかってくる。時間は限られている、だから、毎朝毎朝新たな気持ちで目覚め、この日をきちんと生きるチャンスはこの日一日だけだと自覚しなければならない、と。その一日一日をつなぎ合わせて目的意識と行動力にとんだ人生にしていくチャンスも、これ一回だけと自覚しなければならない。
時間は有限。
実に示唆に富む言葉だ。
毎秒が生きるチャンス!
本当にそうだ。
こういう『自覚』があれば、きっと素敵な人生をおくれるだろうな。
彼にはそれに気づくチャンスがたくさんあったはずだ。
最後にもう一度、別のランスの言葉を。
もし途中で諦めてしまったら、その事実は永遠に残ってしまうだろう。どんなに小さなことでも、降参してしまったという事実は汚点となって、いつまでも心に残るだろう。途中で諦めたくなったときは、どちらの思いを抱いて生きていきたいのか、自分に問うてみるといい
人生は一度きり。
前を向いて全力で駆け抜けようよ。
そして・・・・・・・・・・
迷ったらすすめ!!