プラナリアという生物をご存じだろうか?
脳もない非常に原始的な生物だ。
私の記憶では中学校の理科で習った。
体長2センチくらいの大きさで、非常に再生能力が高い。
例えば胴体を上半身と下半身でチョキンと切断する。
すると上半身からは下半身が再生され、下半身からは上半身が再生され、結局2匹のプラナリアが誕生する。
頭の部分をチョキチョキと切断する。
すると切断したところから頭部が再生され、2つの頭を持つプラナリアが誕生する。
じゃあ、ここをこう切断したら、あそこをこんなふうに切断したら、とか残虐なことを考えてしまうのだが・・・・・
プラナリアは綺麗な水を好む。
綺麗な川の中の石をめくれば、結構発見できるらしい。
遅くなったが、これがプラナリアの写真。
目がカワイイ 笑
こんなカワイイ生物を無惨にも切り刻むことを想像した自分を反省 笑
さて、先日読んだ本の中に、このプラナリアに関して面白い話が書かれていた。
プラナリアを瓶に入れて水を抜く。
そして一箇所だけ水を残しておいて、そこに光をあてる。
するとプラナリアは水を求めて移動する。
この実験を繰り返し行うと、どうなったか?
プラナリアは光をあてるだけで、水がなくても光の方へ移動するようになった。
脳もない原始的な生物が「学習」するということがあるのかどうかわからないが、現象だけみると、学習したことになる。
面白いのはここからだ。
さらにこの実験を続けた。
するとプラナリアはどうなったか??
光があたっても、その方向へ動かなくなって、そのまま死んでしまったのだ
なんで死んでしまったのか?
これはプラナリアが「飽きた」からだろうといわれている。
つまり「光があたれば移動する」という単純作業の繰り返しに「飽きて」、その繰り返しを行うよりは「死」を選んだというのだ。
この実験の解釈がどこまで正しいかということは専門家に任せるとして、実に面白い話だと思った。
学生時代はいいとして、就職して社会に出ると、「時間」がものすごく早く流れていく気がする。
特に20代は早く感じた。
就職してとにかくがむしゃらに働いてブルドーザーのようにすべてを押しのけ押しのけ進んでいく感じで、あっという間に時が過ぎていく。
30代になって、仕事も手につき余裕が出てくると、今度はその「繰り返し」に気付くときがくる。
「今のままでいいのだろうか?」と迷う。
人生の岐路に立たされるわけだ。
ある人は「それが人生」と現状を受け入れる。
ある人は「まだまだ!」と思い直し現状を受け入れながら楽しみを見つける。
ある人は「よし!」と第二の人生に飛び出す。
まだまだ無数の選択肢があるだろう。
しかしどの人生を選んでも、そこに「正解」なんてないし、全部「正解」でもある。
選んだ道で壁にぶつかって、「ああ、自分は失敗した!」と思ったらやり直せばいい。
そう、人生を再生すればいいのだ。
大きく壊れれば壊れるほど、再生したときの喜びは大きいだろう。
大事なのは再生する努力を惜しまないこと。
そしてその過程を楽しめるかだ。
プラナリアも再生したときに密かにガッツポーズしてたりして。
それはないか 笑