JIN〜最終回

  日本につきては我等が見聞して知り得たるところを左に述ぶべし。第一我等が今日まで交際したる人は新発見地中の最良なる者にして、異教徒中には日本人に優れたる者を見ること能はざるべしと思はる。この国の人は礼節を重んじ、一般に善良にして悪心を懐かず、何よりも名誉を大切とするは驚くべきことなり。国民は一般に貧窮にして、武士の間にも武士にあらざる者の間にも貧窮を恥辱と思はず。彼等の間にはキリスト教諸国にありと思はれざるもの一つあり。すなわち武士は甚だ貧しきも、武士にあらずして大なる富を有する者これを大に尊敬して、甚だ富裕なる者に対するがごとくすることなり。また武士甚だ貧しくして多額の財産を贈らるるも、決して武士にあらざる階級の者と結婚することなし。……多数の人読み書きを知れるがゆえに、速に祈祷およびデウスの教を修得す。この地は盗賊少し。盗をなす者を発見する時はこれを処罰し、何人をも生存せしめざるがゆえなり。彼等は盗の罪を非常に憎悪せり。この国の人は善良なる意志を有し、よく人と交はり、大に知識を求め、デウスのことを聴き、これを解する時は甚だ喜べり。予が一生のうちに観たる各国のうち、キリスト教国とキリスト教国にあらざるとを問はず、かくのごとく盗を憎む所なし。……彼等は道理に合へることを聞くを喜び、罪悪行はるるも理由を挙げてその行ふところ非なることを説けば、彼等はこれを禁ずるを道理なりと認む。俗人の間には罪悪少く、また道理に従ふことは坊主と称するパードレおよび祭司に勝れり。(耶蘇会日本通信

一体誰がどの時代のどの国の国民について語っているのだろうか。

これは1549年鹿児島に来航したフランシスコ・ザビエルのみた日本人観だ。

そこには素晴らしい日本人の「矜持」が語られている。なんか自分を含め、現代の日本人と比べると、およそ恥ずかしい限りである。



JINは非常に面白かった。

毎回欠かさずに観た。

JINを観ていて気持ちよかったのは、そこに登場してくる江戸時代の人々がみせた「矜持」だった。

子供に至るまでもその「矜持」をみることができた。

それがこのドラマの根底を支えているような気がして、とても心地よかった。

ザビエルが当時感じたのもこういった感覚だったのかもしれない。



ドラマのエンディングは、タイムスリップもの、パラレルワールドものにありがちなものだったが、とにかく切なかった。

手紙のシーンは泣かせるね。

原作のエンディングも同じなのかな。

挿入される音楽も良かった。

チャラらら〜 ら〜 ら〜 ららら〜

ちゃららららら〜 ら〜 ら〜らら〜(わかってもらえるかな?)

そういえば、同じようなタイムスリップ→手紙パターンでは、宮部みゆきの「蒲生邸事件」を過去に読んだ。

もう一度読んでみようかな。最後は涙で文字が読めなくなったなぁ。

蒲生邸事件 (文春文庫)

蒲生邸事件 (文春文庫)