続・尖閣問題

今日はずっとこの問題。テレビなどのメディアは「誰が公開したのか?」の犯人捜しがメインになっているが、そうではないだろう。

問題は「そもそもなぜビデオを公開しなかったのか?」のほうこそ問題なのだ。

この流出はある意味テロだ。政府に対するクーデターといってもいい。あれほど政府が公開を拒否し、一部の国会議員にしかみせないという国家機密扱いだったものが、こういうカタチで情報が漏れてしまったのである。

しかしこの「テロ」「クーデター」が国民の多くの疑念と欲求にこたえたのも事実。ビデオを投稿した人物はまさに「英雄」扱いだ。これこそ「正義」といえるのかもしれない。しかし遵法精神からは逸脱している。国家公務員法ってよくわからんが、なんらかの法を犯しているのだろう。

となると、正義と法との関係ってどうなんだろう?今回のこの流出を正義とするなら、法を犯したことが正義となる。または正義って法と無関係のところに存在するのか。もうちょっと時間が経たないとわからんな。良い機会だ。ちょっと考えてみよう。