古河市兵衛が買い取った当時の足尾銅山は、はっきり言って廃鉱同然だった。
ところが「鉱山王古河」が経営するようになって以降、飛躍的な発展を遂げた。
しかしその裏で、精錬所から流された鉱毒によって、下流域の農民や漁民に被害が出て社会問題化した。
川の魚だけでなく、家畜や農作物、人体にまで影響を及ぼすことになった。
村民達は事態改善を求めて、陳情を試みたものの、官憲によって弾圧された。
栃木県選出の衆議院議員であた田中正造は、鉱毒事件解決に奔走した。
そしてついに、1901年、天皇に直訴を試みるにいたった(田中は議員辞職してから直訴を試みた。直訴状は幸徳秋水起草。ちなみに直訴は果たせていない)。
辛酸亦入佳境
(しんさん また かきょうに いる )
何事もすべてを打ち込んで事にあたれば、どんな苦労もかえって喜びになる
という意味。
田中正造が没したのが1913年。
今年でちょうど100年。
まさか、その100年後に、実際に天皇陛下に直訴する人が出てくるとはね。
これはちょっと問題となるだろう。
さて、明日は予備校講師になって以来、はじめて私用で仕事を休むことになった。
今日、和歌山の授業に出てた人は、いま何が起こっているかわかってくれた。
さあ、明日!明日!