違和感

こないだマッサージ屋でマッサージをしていたら、隣でマッサージをしていたおばあちゃんの会話が凄かった。

(おばあちゃん)「あたしなぁ、若いときから脇毛生えたことないねん」

(私の心の声)「うそん!って何の話しとんねん」

(店員)「へぇ、そうなんでかぁ」

(おばあちゃん)「でもな、私の娘はボウボウなんやで」

(私の心の声)「オーマイゴッ!」



とまぁ、そんな話はいいとして。


言葉というのは力を持つ。

そしてその力を利用して、時には印象操作が行われる。




国会で消費税増税法案が衆議院で可決された。

注目された民主党からの反対票は57、棄権した議員も含めると当初の予想を上回る「造反」者がでた。

このニュースを伝えるメディアは街の声などを使って、

「政党人としての責任を欠く、と言わざるを得ない」

有権者の理解を得られない」

と批判的に報じている。

批判というのは当然「造反」に対する批判だ。

民主主義というのはプロセスが大切である。

今回の民主党のやり方はプロセスがおかしい。

自民公明と3党合意をやってから、それを党に持ち帰って「3党合意したから、お前らこれ呑めよ!」ということだ。

プロセスが逆だろう。

まず党内をまとめてから3党での協議に行くのが筋だろう。

こんなやり方をしたら、党内から強い反発が出るのは当たり前だ。

この党内の反発を「造反」といって伝えるメディアに強い違和感を感じる。

造反しているのはむしろ執行部のほうだ。

「造反」というのは「執行に理がある」というのを前提としている。


「造反=悪者」と言いたいわけだ。

ちょっとみなさんも考えてみて下さい。